温暖のマイアミへ
スタンフォードを出発
新年が過ぎて一週間経った頃、私はフロリダへの移動の準備から、友人たちやCBSの人の開いてくれたゴーイング・アウェイ・パーティに出席したりして全く忙しい期間だった。私が1日の最もこの地方が寒い季節にフロリダに移動することをつげると誰もが非常にうらやましがる。それもそのはずで、テレビのコマーシャルや新聞広告も冬のバカンスをマイアミで過ごすための宣伝でいっぱいになっている。しかし私にとっては、新しい南の地も魅力的だがせっかく土地に馴れ知り合いや友人たちが多くできた所を去るのはとてもつらいことだった。

また春には、ニューヨークには戻って来る予定だったので、空港やターミナルまで送って来てくれた人たちとも、再会の約束をしてマイアミに向かった。ラガーティア空港からマイアミ国際空港まで約2時間40分で着いた。ニューヨークでは、厚いスェターとコートを着てふるえていたのに、マイアミではスェターをぬいでも汗が出るほどだった。そしてスタンフォードの雪景色と枯木だけの色の無い街並みから、一瞬のうちに緑がいっぱいで夏の日ざしの光景に変化してしまう。頭では理解できても、何とも不思議な感激のあるものだ。

マイアミ大学にレジストレーション
入寮の手続きと受講する科目の登録(レジストレーション)を行い、私は英語の授業の他に一般の科目をいくつか取った。これは自分が最初に興味を持って選んだものと、後に知り合った学生にさそわれて途中から参加したものもある。いずれにせよ1セメスターだけの授業への参加だったので、単位を取ることはできず聴講の形になるものがほとんどである。
途中から友人たちにさそわれて参加した大人数のクラスには、レジストレーションをなしで聴いていてもとがめられることはなかった。このため授業料も全部払っていると、費用がばかにできず無断聴講のクラスもずいぶんあつた。英語のクラスは、外国人がこの大学に入学するための資格を与える目的がはっきり示されておりそのため授業の内容で、また生徒の目的も大学入学のための準備期間としてとらえている。とくに私のいたアドバンスド・クラスの生徒は、はっきりと次期セメスターに入学をめざしている者が多く、勉強もわりあいと熱心にやっていた。一般コースの大学生(外国人の)も語学になお問題のある人は、教授が指定の英語科目を受ける義務があり、ときどき英語のクラスにも参加している。
また、私のとっていた一般のコースはアメリカ近代史,コンピュータープログラミング,哲学一般などだった。マイアミ大学は、生徒数約18,000人,評判の高い学部は医学,海洋生物学,工学などとのことだった。私立大学のせいもあり授業料は、アメリカの大学の中でもアヘビーリングなどの東部の学校と並んでかなり高い部類に入り、1セメスターで約1,700ドル、一年間でサマーセッション,寮費など生活費も含めると7,000~9,000ドル以上はかかるようである。しかし学生の質はカルフォルニアや東部の有名校のように高いものではなく、金持ちの子供たちの集りという傾向も若干ないではない。

構内はかなり広い方だが、全体にある程度まとまって教室が点在しており教室から教室への移動も歩いて行けそれほど苦にはならない。大きな大学のキャンパスになると(ミシガン大学など)バスで移動したり自転車が必需品となる。キャンパスの中央に大きな池があり、その周辺にオフィスや寮,教室が建っており景色もなかなか美しい所であった。池の周りには熱帯樹が多くみられ北東部地方のキャンパスとは全く異ったふんいきである。さらにその周辺には、各種のスポーツ施設のテニスコート,バスケットボールコート,野球場,大きなフットボール練習場がある。有名なオレンジボールは大学のキャンパスからはやや遠い所にある。これらの施設は学生証を示すだけで気軽に利用できる。

寮は各種のものがあり夫婦用また独身者用でも上級生用,新入生用,費用は高額だが居ごこちのよいリビング・ルーム付の豪華なものに入ることもできる。私の入っていたものは12階建てのビルでアメリカ人のルームメイトのドンと2人で共用していた。あまり広くないが勉強をするには充分といったところだった。この学校には東部の名門校にあるような閉鎖的な学生クラブ,例えばアイビィ,キャップアンド・ガウン,コティジのような米国の上流階級の子弟が集まるクラブはあまりみられなかった。キャンパス内でのアクティビティへの参加はいろいろと楽しいものが用意されており、テニス,カード,チェスクラブにはよく参加していた。しかしこれらのクラブは比較的少人数で活動している同好会的な色彩が強い。本来のスポーツクラブはフットボールクラブに代表されるように、かなりプロ的な要素の強いものである。
ここでマイアミ大学の周辺のことについてふれることにする。マイアミ大学という名前でも、実際に存在するのはマイアミ市内ではなく、西どなりのコーラスゲーブルズ市である。コーラルゲーブルスは「アメリカのリビエラ」として1940年代に設計された町だそうで整然とした 美しい街である。またマイアミ市(人工35万)とマイアミビーチ市(人工9万)は異った市で一般に有名な高級ホテル街のつらなった光景は本土にそってのびた細長い島にあるマイアミ・ビーチ市で見られる。それぞれの市内を訪れてみると、市の中心部は他の中型都市と変わらずとくに目新しい感じはつかめない。マイアミビーチはやはり会社をリタイアーして冬の避寒地として訪れのんびりと過ごしている金持ち風の老人のカップルが目立ちほとんどが若者または子供たちはマイアミビーチ周辺では見かけない。

マイアミ市の中心は、やはり白人が多いがラテンアメリカ系の人種も多くその次に黒人が多い。市内での買ものなどは英語よりもスペイン語の方がよく通じる店も多い。また、市の南西部にある高級住宅地域であるココナツグローブ,またその近くの島々のキービスイケインを訪れると海岸沿いに熱帯樹にかこまれたエクスクルーシブな別荘がつらなっており私設のボートをもやっておくための小さな運河が各家ごとに作られている。これらの大きな別荘群を見るとあらためてアメリカの金持ちのスケールの大きさがわかる。また気候は、冬は大変過ごしやすく平均気温は1月~2月頃で15゜C~25゜Cといったところだった。とくに昨年の東北部は寒波が激しくその影響がフロリダにもやって来てすずしい日が続いていた。しかし夏は40゜C近くなる日がつづき、学生にいわせると大学の教室から教室への移動だけでへとへとになるといっていた。
授業とアクティビィティ
英語のクラスの授業は、リーディングの時間にシェークスピアやギリシヤ神話を題材に進めていたがこれは英語自身は古語も多くそれほど実用に役につとは思えなかったが、これも英語国民の一般知識の一つとして勉強しておくと拡い範囲で役に立つのではないかと思った。まだレギュラーコースの授業は、これも教授や講師によりさまざまな進め方をしているがディスカッションの多いもの、本に従って進めて行く授業いろいろだが全体に云えることは、毎回の宿題の量と教科書の次の授業までのアサインメントの量がものすごく多く日本人学生がアメリカ人学生と同等に勉強を進めて行くには、かなりの時間をかけて努力しなければおいつかないものが多くあるように感じた。授業の中でのアメリカ近代史などはアメリカ発展の過程、その成り立ちなどを現実の問題とときおり照らし合わせながら進めて行き興味が持てるものだった。これもアメリカ人の持っている基本的な知識を身につけるのに役立った。

アクティビィティは大学の中で生活していると自然外部の地域活動にはスタンフォードにいたときよりも参加しにくくなって来る。近くの教会や高校の活動にときたま参加した程度で主な活動は寮とクラスの友人たちとの行動をとるものになつてくる。相変わらずこの学校でもパーティは必ず週末にあるが、これらは誰でも参加できるものが多いのだが中には上級生だけのもの、クラブ主催によるものなどもあり、バーモントのサマースクールのときのように何にでも顔を出せるというわけではない。身近なところで は、私の住んでいた寮の12階の連中で開いたフロアーパーティは楽しいもので私とフロアーカウンセラーのロバート,となりの部屋のマーク,ジムと企画して月に1回づつぐらい持っていた。寮の各階には、黒人,白人入り混じってすんでいるのだが黒人はあまりそのようなミーティングやパーティーには積極的に参加して来ないようだった。しかしそれでも他の大学に比べこの大学内では比較的両者の交流がさかんである方だというこいである。
フロアーパーティはごく簡単な形式のもので飲みものと(ビール)と音楽があれば、階のリビングルームに集まって始める。ただガールフレンドは、それぞれがさそって来ることになるのでステェディでなくてもクラスの女子学生をつれて来ることになる。また、この期間にセント・バレンタインデー(2月14日)のお祭りがあったが、これはアメリカでもかなり重要なお祭りに当たるらしく学生どうしでもおくりものやチョコレートを交換したり、パーティを開いたり、キャンパスの中でもいろいろなもようし物があった。クリスマスのときもそうだったが、アメリカ人はよくよくプレゼント交換するのが好きな国民のようだ。感謝又は愛情の気持ちを示すのに何か形にして表す気持ちが強いのでこのような習慣があるのではないかと思った。
学生たち
私は1~2年生用の寮で生活していたので自然下級生とのつき会いが上級生より深くなった。その下級生たちの印象は、彼らが勉強の時間が少ないことに驚いた。とくにルームメイトだつたドンなどは授業もお昼から始まるものや夕食後のものを数単価とっているだけで毎日ガールフレンドのデビと一緒にいる。しかし親の仕送りで生活している身なのでお金にはいつも不自由していて外に出歩かないでキャンパスの中で適当に楽しんでいるようだった。しかし同じ階に住んでいたロイドはドンと逆のややがり勉タイプで金曜の夜でも寮にいるほどだった。彼は大学のFM放送局のアナウンサーをしておりきれいな英語で喋っていたのでよく単語の発音などを聞きに行ったが気軽に長い時間でもつき会ってくれた。また大学新聞のコラムにもよく小文を載せていた。彼はユダヤ系だったが将来はローカル局のアナウンサーが志望だそうで学生の中では下級生だが将来の計画がしっかりしている方だった。この2人は、両極端だがこの学校の学生気質を表しているような気がした。北東部の学生たちに比べれば全般に毎日あそんでいるように見える。図書館も大きくりっぱなものがあるのにいつもガラガラのときが多いくらいだ。

またこれはアメリカの大学生全体に言えることかもしれないが一度社会に出て(休学して)1年ぐらい働いて来てまたフラリと大学に戻って勉強をつづけている学生が多い。大学の出入りが自由でマイペースで自分の人生をうまく計画して勉強しているように見えた。学生結婚しているカップルの多くキャシィとアルは私の滞在中に結婚式をあげた。はたから見ているとお互い気楽そうにやっており2人とも若いせいか将来にはひどく楽観的だ。結婚前彼らはルームメイトだったそうで何か変な話しだがアメリカの学生どうしなどでは異性のルームメイトもありうるそうだ。無論リビングルームのみ共用でベッドルームは別になっている。2人とも私には好意的でいろいろとめんどうを見てもらった。よく彼らのアパートに遊びに行ったが学生生活のそのままの延長のようで何とも殺風景な部屋に住んでいた。また学生たちが問題を起こすことも多く一番多いのはコカイン,エンジェルダスト(高価だが)などの麻薬所持である。マイアミ大学生がよくつかまっていた。また賭博。マイアミ大生はお金があるせいか有名クラブのメンバーに多くの学生がしめているとこといわれていた。学生運動は政治的なものはあまり活発でないので学園全体はいろいろ問題があるものの靜かなものである。また近くの高校生も都会の学校のせいか、窃盗などの常習の生徒も多くスタンフォードにいたときよりもすれっからしの高校生が多いようだ。大学生たちのキャンパス外の遊び場は近くのビーチに行くこと、ドライブなら1泊するがキーウエスト(米本土最南端),ディスニーワールド,身近なところでは、ドックレース,イルカの曲芸、ローラースムート,ゴルフ,変わったところではガンショット,スカイダイビングなどもある。キャシィたちにさそわれて出かけたがスカイダイビングだけは高額なのと怖かったのでやる気にならなかった。 いずれもアメリカ的な遊びだと思う。
私の滞在中,映画「サタディ・ナイト・フィーバー」が1月~2月にかけ全米で大ヒット、キャンパスの中もその影響が強く学内はディスコ・ブームにわきかえった。まさに70年代後半の若者文化のある一面をよくとらえていた映画だったのだろう。そして私がヨーロッパに渡るとイギリス・フランスでも大ヒット中、そして今日本でも世界のファッションの同時性,均一化という傾向を肌身で感じた。私にとってのキャンパスでの生活は社会生活に比べ気が楽で同年代の友人をたくさん得ることができるが滞在期間がそれほど長くなかったのであまり深いつきあいはできなかったと思う。また机に向かえる時間がスタンフォードにいたときよりも多くとれたが、その分生活の範囲はキャンパスの中になりがちだ。しかしこの頃はアメリカ生活にすっかりなれた時期でもありフロリダの太陽の中でのびのびと勉強,活動に専念でき非常にタイムリーで有効だったと思っている。

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