ヨーロッパ旅行

米国内の旅行を終えスタンフォードのもとの下宿先で数日を過した後、ニューヨークからロンドンに飛んだ。ヨーロッパ旅行の最初の出発点(拠点)として米国に最も床里の深い英国を選びそこで短期間だが家庭滞在をし、米 英の家庭の暮らしぶりなどを比較,観察してみたいと思っていた。米英の異  いは、いたるところでの顕著でそれは風景,建物,英語の発音,表現などは勿論のこと、人の物ごしもアメリカとは正反対のことが多く予想以上に驚いた。やはり島国と大陸の違いなのだろうか。直感的に、アメリカの滞在が長かったせいか、私には長く住めそうにもない土地柄だと感じた。ロンドンを  半日ほど見学したのちイングランドの西南端のユーンウォール半島にアポイントメントをとった家庭に向かった。私の滞在したアンゴーブ家は夫婦だけの2人暮しでミスター・アンゴーブは大工,ミセス・アンゴーブは高校の教師で共働きをしている。子供はないので地域や趣味のクラブを通じての友人  づき合いをひんぱんにしながら毎日のんびりとした暮しぶりだった。私の体験した範囲で米英の家庭の異について述べてみると、まず最初に気がつくことは、生活全般のレベルがやはり米国に比べ一般に低い。またこれは米国に滞在していた他のオーストラリア人やスイスに聞いたところでも、またその  後私がヨーロッパ大陸各地を廻っても気がついたことだが英国は南ヨーロッパをのぞいたどの国よりも生活水準は劣るようであった。食生活も貧しく食事の量,質とも充分ではない。夕食にかける時間も短く15分間で夕食が終  ってしまうこともあった。建物は都会,地方にかかわらずやはり古いものが  多く一般に内装はせまく質素だが小ぎれいにしている家が多い。アンゴーブ家は新築であったが小さめで米国の家に比べるとことのほか狭い感じがした。もちろん日本に比べればめぐまれている部類に入るだろう。米国と共通していることは食後とくに予定のないときは居間でテレビを見たりすることで、  映画,歌,クイズ番組などが人気があり、それもニューヨークの下町の話だったので、「英語の感じはだいぶちがうか」と聞くと、「耳なれない表現が多いがだいたい想像はつくよ」と2人は云っていた。その他夕食後の時間は、(夕食は早く6時頃とっていた、その割にレストランは開くのが遅く7~8  時だったりする)近所の友人,地域のクラブ(シスターアンゴーブはグライダークラブに入っておりよく乗せてもらった)などの友人たちと親密につき合いパブに行き、ビールを飲みながら談笑して楽しむことが非常に多く、ほ  とんど私の滞在中毎日パブがたくさんあり、安く手軽にお酒を飲めるところ  でもあり、一種の社交場でもあるようだ。若い人たち向けのパブにはそのとなりのフロアーがディスコティックになっており真に若者から老人まで楽しめるようになっている。アメリカ人でアルコール類を大量に飲む人は、私の周囲には見当たらなかったのだが、イギリス人は一般に酒好きのようで本当  によくパブに飲みに行くのが印象的だった。私の滞在地はコーンウォール半島のヘルストンだったがこの辺は英語でもコーニッシュ りがある。イギリス最南端のランドエンドのミセス・アンゴーブの両親を訪ねたときは、話が半分以上は聞きとれなかった。彼らはきっすいのコーニッシュらしくミセス  アンゴーブの通訳でやっと話せるほどだった。アメリカと異いイギリスでは各地方のお国りがはげしいようだ。ロンドンでもコックニー りか何か知らないが聞きなれない英語によくぶつかる。この地方でも、中学校と高校に  訪れ先生や生徒たちといろいろ話す機会を持つことができた。英国の子供も  かわいいのだが、アメリカの子供のようなあっけらかんとした気の良さというものは感じられず、多少はにかみやでプライドが高く、仲よくなるにしても多少時間がかかる。しかしキャンパスは開放的で施設もよく整っていた。イギリスでの滞在の後、大きな荷物をこの家に残しバックパック一つの軽装  備で、ヨーロッパ大陸の最初の都パリだけあり、その大きさと華かさはさすがだと思った。5月の中ばを過ぎたにもかかわらずパリの気温は低く街ゆく人々もオーバー姿だった。古い都でもあり、見所も多く観光的には非常におもしろい街ではあるが、フランスはヨーロッパ各国の中でも英語の通じにく  い国の一つでフランス語一本やりのことが多くそれを解さないものには腹が立つほど不便である。それにあらゆる面で日本人には不親切なようでデパートで物を買うにしてもこちらがフランス語を話さないとわかるとまるで相手にせず売る気も見せない。パリのアメリカ人も同じような境遇で言葉が通じ  ず四苦八苦している姿を見ると何か彼らに対して連帯感を感じたりする。大陸内の移動は全て列車を使いスイスに向かった。ヨーロッパは電車が発達しており非常に快適で便利である。列車での国境の通過も簡単で各国内ともスムーズに移動できる。車窓からながめるフランスの田園風景またスイスのアルプスの山々の近くを走るときに見られる風景は変化があり、見るものを飽きさせない。スイスではアメリカで知り合ったスイス人の家を数ケ所訪ねて泊めてもらい、アルプスの山に登山電車で行ったり、彼らの町を案内してもらったりした。アメリカで会った友人たちにまた彼らの国で再会できるのは  何ともなつかしく駅まで出向かえに来てくれたりすると何となく映画のシーンを思い出したりする。スイスの生活水準はかなり高く私の泊めてもらった各友人宅は、どれもアメリカの家に近いぐらいに大きく空き部屋もたくさんあり余裕をもった生活ぶりだった。またスイスでは外国語教育がさかんで英語もよく通じ道などをたずねてもきれいなアクセントの英語でおしえてくれる。次の目的地ローマには夜遅く着いてしまったが車内で一緒だったアメリカ人旅行者(彼は1日$5.00の予算で旅をつづけているといっていた)に紹介してもらった宿をたずねた。あいにく満員だったが宿の女将は現金なもので女性部屋が1人空いているがOKかと聞くので同室の人がOKならどこでも良いと答えるとすでに3人の女性が滞在している部屋に通してくれた。彼女たちは2人がドイツ人1人がカナダ人でみな旅行者どうしなので気がねなく共同でやって行くことができたがこんな体験は始めてだった。カナダ人は大学生で学校を休学して10ケ月も旅をつづけており日本にも寄ったそうだ。東京と広島の原爆ドームの写真を見せてくれた。ローマはがんじょうな石作りの古風な建て物が多く道路も石だたみが多く街全体が石で作られているように感じる。日本の木造建築がなつかしくなるくらいだ。道路事情は最悪で東京よりさらに道が狭い上に車が多く信号機の設置してない交差点もあり、道を歩くのに大変気がつかれる。それにドライバーのマナーは悪く車優先でぼんやり歩いていると本当にひかれそうになる。しかしイタリア人は一般に気やすく親しみがあるのでロンドン,パリにあるような気むずかしいムードがなく大変なじみやすいところだと感じた。
ドイツのミュンヘンに入るとこの国が第2次大戦後、日本と同様にちゃくちゃくとみごとな復興をとげているのを肌で感じた。建物も新しいものが多く街全体も活気があり、人々の生活もより合理的な感じがしとても好感が持てる。コンセントレイション・きゃんぷ・メモリアルに行く途中郊外も歩いて  みたが小ぎれいな家が美しい緑の木々や芝生の中に見えない美しさだった。(次ページ写真)
そしてその収容所跡に行くとき、道に迷ってしまい何度もその地域の住民に「収容所跡に行くにはどういったらよいか」と聞いたのだがおもしろいことにみなニコニコして道をおしえてくれる。私は、ユダヤ人大量虐殺のイメージが強すぎていやな顔をされると思ったのだが。その後ビールのおいしさに  なごりをおしんでスカンジナビアの国デンマークとスェーデンを訪れた。これら北欧の国々はどれもその例にもれず生活水準が高いが物価も高いという状態だった。コペンハーゲンとストックホルムを訪れたが両国ともあまり古さは感じさせず美しい広告の文句そのものの森と湖の都というイメージだっ  た。その頃日は6月の初めでもありかなり昼が長く11時頃日が沈んて゛もまだ西(北?の空がうっすらと笑っていた。そして夜中の2~3時頃また太陽が上って来てしまうのでおどろいてしまった。スェーデンでは白夜を見に行く旅行者に多く合、彼らからも北極圏行きをさそわれたが旅程の都合で行  けなかったのは残念であった。これから北欧の国ではさらに英語を解する人が多く旅行には全く支障をきたさない。
以上かけあしでヨーロッパ各地を訪れたわけだがこの短期間では、また米国,英国とはちがう言葉の問題があり、地元の人たちとの交流は難しく残念だが単なる旅行者として観光の要素が強くなってしまう。そのかわりこの旅行では同じ境遇のアメリカ人,カナダ人,オーストラリア人,メキシコ人,かん  こくじん,日本人などの旅行者と知り合い、多くの興味深い話を電車の中,ユースホステルなどでかわすことができた。例えばインドの滞在の長かった  アメリカ人は、インドの貧窮にあえいだ悲惨な生活を見てショックを受け、彼の世界感は大きく変わったという。オートバイでシルクロードを渡って来  た青年,子供の頃からの彼の夢だたそうだ。コペンハーゲン行きの夜行で一緒だった黒人の女の子。なつかしく私の好きな英語の発音だったので出身を聞くとやはりニューヨークはブルックリン。ブルックリン子は気のおけない陽気な人が多く話しているとホッとする。そして一週間くらい後私がトギリ  スに戻る途中パリに寄ると何と駅で声をかけて来たのがこの黒人の女の子だ  った。それにローマで会った日本人にもパリのモンテパルナス駅で偶然再会。ヨーロッパは旅行者にとって全く狭いと思った。
その他いろいろの出合って別れた旅行者たちが大きな臭覚だったと思う。思えば1人で旅行していた感覚が全くなくアメリカ旅行と全く異った印象があった。その中でやはり英語は国際語であること外国人とより深いコミュニケーションを持とうとしたとき英語を話すことは重要なことだと感じた。

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