アメリカのある地域に根をおろしはじめるとだんだん何かのパーティかディナーにさそわれることが多くなって来る。紹介されて相手のことをもっとよく知りたいと思ったときには、別れ際に「今度ディナーに家にいらっしゃい」とさそってくれる。下宿していたパールスティン家でも週に一度か二度 は彼らの友人,知人などをまじえてディナーをとっていた。私もその席に毎 回出るけれどもおもしろいときもたいくつするときもいろいろである。またアメリカ人のパーティ好きは有名だがその持ち方も非常に上手だ。個人の家で100人以上も招待するものや5~6人の友人どうしのパーティまで大がかりなものから思いたって集まるものまでいろいろな種類のものがあってお もしろい。そして秋が深まりハローウィーン,感謝祭からクリスマス,お正月とこのシーズンには必ず何かのパーティに出席することになる。どんなパーティも知り合いをふやしたり行動範囲も広がるのでさそわれれば無理してでも出席するようにしていた。楽しいものは何といっても友人どうしの誕生 パーティやひっこしパーティ,気の合ったものどうしで食事を作ったり、準備そしてソフノドリンクと軽食で集りワイワイやるものだ。場所は前述の地域グループのメンバーの家のもちまわりとなる。各家庭とも大きなリビングルームがあり彼らの両親も食事を作ってくれ協力をしてくれる。下宿のミセス・パールスティンも5~6人の小さいパーティだったら私が招いてもOkayで食事も作ってくれた。CBSで同じグループでお世話になっていたジムなどには彼女から「今度ディナーに招待しなさい」といってくれるほどだった。またAFSのシーティングのあとのパーティも気楽で楽しいものの一 つである。スタンフォードには3人のAFSのミーティングのあとのパーティも気楽で楽しいものの一つである。スタンフォードには3人のAFS留学生が来ていてドイツからルネ,ブラジルからアントニオ,イタリアからピノであった。AFSの留学生だけあり3人とも好青年でみんな物事に積極的だ。こちらからの呼びかけにもすぐに反応して来る。とくにピノは近所の親しか ったミセス・ビアーの家がホストファミリーだったのでよく顔を合わせていた。彼は他のAFS留学生よりも英語は劣っていたがまじめな性格でみなから好かれていた。一般に想像するイタリア人とは少し異る。AFSのパーティはややフォーマルなものに属し、外国に興味を持っている高校生やホストファミリーまた実際に留学したことのあるAFSのOB,その他委員会関係の人々が多く集り3人の留学生を中心にスピーチやコーラスなどでパーティを盛りあげていく。もともとそこには外国に興味のある人が集まっているし、またスタンフォードでは一度も日本人に会ったことがないくらいなので情報 に飢えているのか席上ひんぱんに日本のことらついて質問を受けることになる。小学生から大人に至るまで応対にひまがないほど日本に関心を示しいろいろ聞いて来る。どうしても同じような質問が多くなるのだが、英語を話すこと自体この頃はおもしろかったので全くたいくつすることはなかった。彼らの主な興味の対称は日本の文化的背景とこの十数年の驚異的な経済発展のことらしい。みんなに囲まれてあれこれ説明していると日本人に生まれて良かったと思う。夏に家庭滞在をしていたソイネン家には車で2時間半と近くスタンフォードに移ってからも何度かパーティの招待を受けた。中でもアリ ス(ミセス・ソイネン)の父親のハモンド氏の誕生パーティは個人のものとして私の参加した中では大きい方で約70人ぐらい集った。親類が半分以上あとは友人などである。ソイネン家は「クロースファミリー」で何かがあるとすぐ全員集まる。そんなわけで私も顔見知りの人が多かった。私は前日から泊まって参加したが、だいたいの人は午後6時頃から集り出し7~8時頃 は最も盛り上がる頃、ホストのトム(ミスター・ソイニネン)はこのひろ大 忙しで酒をはこんだり来客の応対をしたり。かなり大きい家だがピーク時に はゴチャゴチャになってしまう。みんながかってに来てかってに帰って行く。元気な顔を見せ合いお喋りを楽しむことに意義があるらしくセレモニーはバースデーケーキのろうそくを消すぐらいであとは気ままなものである。そしてふと庭を見るとあのアメリカのフルサイズカーが20~30台もずらりと並んでいる。こんなところにもアメリカの大きさを感じてしまう。子供たち は小さい順に10時頃から寝かせて12時頃最後の客が帰りホストもホステスもつかれぐったりとなってしまう。しかしあとのかたづけは紙コップ,紙 ザラ,プラスチックのナイフ・フォーク全部使いすてのものを利用し合理的にやっているのでそれほど苦でもないようだ。大人数のパーティでチャイナの皿など使っている家はよほど裕福な家か(メードをやとえるほど)かたずけのマメな家であろう。この親戚一同はみなフレンドリーで久しぶりに合う と“How have you been? Takao!”といってくれる。話は私の方はCBSでの新しい仕事のことスタンフォードの様子,車のこと、先日のニューヨークで見た芝居、映画のこと、ニューヨーク・ヤンキースのジャクソン(ホームランバッター)の話などたあいのないものが多い。日本の話は多少あきて来ていたので話さないが、初めて合う人には例によって何で自分がアメリカに来ているのかという話から始めなければならない。これらのパーティは楽しいもので時間の経つのも忘れてしまうが、中にはかたくるしかったり知っている人がいなかったりで疲れるだけのものもよくある。「さそわれたパーティは絶対にことわらない」のを原則にしていたので場違いのようなものにも出かけていってしまった。友人が親切で彼らの知り合いのパーティに彼らの独断でさそってくれることがある。いつものようについていき、最初は友人がホスト・ホステスに紹介してくれるその他2~3の人にも会わせてくれる。そのうち彼はなつかしい友人などに会ってどこかに消えてしまうのであとは自力で話し相手を探さなければならない。知人は全くいないので手あたり次第に話していって反応のありそうな人を見つける。日本に関心を示す人でもそこに居れば向こうから話しかけて来るのだが、無関心な人も多い。さらにけいべつ人だっいることもあるのだ。だれでも話 しかければ相手はしてくれるけれども、相手自体が興味を持ってくれなければ話は進まない。こちら1人で喋りっぱなしということになる。こんなときは英語の口ならしのつもりで喋りつづけると楽になる。しかしそこは、アメリカ人のこと必ず1人か2人は気のいい話し相手がみつかるものだ。ここま でくれば自分にとってそのパーティは半分成功のようなもの、向こうのソファでブロンドの美人と話し込んでいるつれて来てくれた友人にもOKとエンジョイしているサインを送ることができる。
CNSのジム・バーネットはよく自宅のパーティにさそってくれた。仕事 の内容は異るが年令が近かったしよい友人の1人だった。何のパーティかと聞くとなんでもないパーティだといって、ただ昔住んでいたニューヨークの ャマイカの隣人が10人ほど訪ねて来るというだけのことらしい。ニュー ヨークの下町育ちらしくみんな気のいい連中で会ったとたん憶えたばかりのファーストネームを呼んでくる。飲んだりピアノやギターを弾いたりしているうちジョーク大会(合戦?)が始まった。10人前後のディナーやパーティは必ずこれが始まる。これらは理解するのが難しいものが多く私が何度も 説明を求めるとみんなが非常にいやがる。最初のうちは、得意げに説明して くれるがたび重なると「何度も聞くからつまらなくなってしまう」いわれる。そして私の番になり、テレビでおぼえたカーター大統領のジョークはうけたが知っている人もいるので大変やりにくい。日本のジョークをやれというので電線とすずめの話をしたら誰も笑わずに「それが日本のジョークか?」と だれかがいつて終わりになってしまった。これらは社会人の集まる大人のパーティだが、キャンパス内外で持つ学生のパーティになるとまりでムードが異る。パーティ好きなのには変わりはないが学生のものは若いせいもあつてずっと乱れるものが多い。必ずダンスはつきものだし、部屋に集まって行うものには薬がつきもので(マリファナが最もポピュラー)多少危険なものも ある。しかし大人数で行うキャンパスの食堂などを利用してのダンスパーティは明るく楽しいものが多く、バーモント州のSIT,フロリダ州でのマイアミ大学,それぞれ週末は生バンドを入れて学生ならではのハメをはずしたもので社会に出てからではあじわえないものがある。いずれにせよアメリカ 人にとってこれらのパーティは生活を広げていく意味でも、生活の重要な一部であるようだ。
パーティとディナー

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