日本ではお茶の時間、英国ではティータイムがあるようにアメリカではコーヒーブレイクがある。CTCでは朝の10時に実験室にあるコーヒールームに集まって15分~30分ぐらいコーヒーを飲みながら喋っている。この集合時間がいやに正確で9:55分になるととなりの研究室のハンクが“Coffee”と大きい声でどなるのですぐわかる。このブレイクは誰でも来たいものが集まってのブレイク・タイムで自分の部屋でコーヒーを飲んでいる人もいる。一般に役付きでない人が集まっているようだ。一応メンバー制になっており$1.50/週ぐらいづつ会費を払ってコーヒー,クリーム,さとうの購入にあてている。この他ティーのメンバーもあり私は両方のメンバーに入っていた。常時5~10人ぐらい集まるがハンクとハービーとジムが話し好きでのべつまくなくに話している。話題は人のうわさ話。,家族の話,技術のこと他のTV局のことなど。しかしローカルな話題やインサイド・ジョークも多く聞きとりが難しい場合もある。ここでよくNHKのことや技術研究所のことも聞かれた。彼らはエンジニアとしての日本の工業技術に関する知識はあるが、一般的な日本のことに対する認識は少ないので全くおかしな質問をすることもある。このコーヒーブレイクはなかなか良いムードでのんびりできて気がやすまるが何とも朝10時では早すぎる、じっくりと話をしたいときには午後にコーヒーでも飲みながら彼らの部屋をぶらりと訪ねるのが一番よい。ディレクター以外はあまり忙しそうにしていないのでたいていは話にのってくれる。彼らも息抜きに私の部屋をたずねて来たりして技術の話でも仕事の話また仕事以外の話でもOKであった。そんな調子でオート白バランスの研究をしているドンの部屋をたずね最初仕事の話をしていたのだが、彼は釣り好きでいろいろな魚の名前をあげて日本にいるかを聞いてくるのでつられて議論していると5時を過ぎてしまいそのまま帰宅となってしまう。残業は全くといって良いほど彼らはしないので4:55になると機器の電源をみな落し5:00を過ぎると所内に人影はなくなりしんとしてしまう。時間給で雇っているテクニシャン以外は残業手当ては出ないそうでそれが原因ではないかとカイガー氏は話していた。しかしジムによると前の会社は残業が多くあったそうで会社の正確にもよるらしい。
CTCには日本にあるようなりっぱな社員のための施設は全くなく、広い芝生は広がっていてもテニスコートがあるわけでもない。ましてや海の家,山の家など地方にあるのは彼らの思考範囲外であり、文字通りオフィスは仕事をする場でありそれ以外の何者でもないというわけである。従って社員どうしの仕事以外の交流は多少の個人的なものを除きあまり活発でない。むしろ彼らの交流の中心は親類,地域,教会,他のグループ活動のものが多いようだ。しかしこのような割には、所内は親しみやすくお互いにファースノネームで呼び合っており、ディレクターのムーア氏にも私はいつも“ケン”と呼びかけていたし他の人もそうしている。私のこともだめもラストネームで呼ぶ人はなかった。これらは、アメリカのインフォーマルな私の好きな習慣である。しかしアメリカでも気業によっては、異なるので注意しなければならない。事実学校でも教師を呼ぶのにVバーモントのときは、ファーストネームでOK、フロリダのとき(大学でもあったが)どんなに親しくなっても必ずミスター又はミセス,ミスをつけなさいといわれた。
施設といえばCTCには社員食堂もなかったのでいつもカイザー氏やレンツ氏らと近くのレストランに車で相乗りして出かけていた。またべんとうを持って来る人もいれば家に帰る人もいる。ベントウの人たいていサンドイッチかハンバーガーで静かに自分の部屋で食べていることが多い。アート・カイザー氏は行きつけの所が5~6ケ所きまっており、$3~5の食事をとることが多い。アート・カイザー氏は暗算の名人で勘定書きから税金とチップを割り出して人数分で割る計算を毎回食事の終りにやる役目であった。このややこしいシステムは日本のシンプルなチップのないシステムがなつかしく思えるほどめんどうだ。昼食の$5は私にとつて大きな出費だったのでたまに下宿のノーマ(おくさん)にたのんでサンドイッチを作ってもらった。しかし何とも、アメリカの食事は変化が少なくすぐあきが来る(しかしイギリスよりはましだ)ハンバーガー,ホットドッグ,ステーキは私の大好物であったので最初はよかったが何日もつづくとさすがにあきてくる。こうなると下宿で夕食にノーマが作ってくれていた中華風の料理がたのみだつた。いま思うに、アメリカ生活ただ一つの不満は食事の単調さかもしれない。
しばらくして自分の車(バーモントに居たとき購入したシボレーベガ)が調子を悪くし、ついて故障してしまった。その間近くのコネチカット大学の学生にピックアップしてもらっていたがそれがだめなときは、ムーア氏の秘書のレズリーが送り迎えをしてくれていた。そしてジムに話すと通り道なので毎日送ってくれるという。いままでも、食事に他の人と行ったりするときは私の車は使わなかったし、結局車社会でもその土地に定着してしまうと、知合いもしだいに多くなり、案外車なしでやっていけることに気がついた。そのようなわけで修理代のかかる車を思い切って売却しもっぱら他人の車に便乗することにした。これの良いことは他人と接触する機会が多くなること、経済的なことなどメリットは大きい。蛇足だがアメリカの小型車が何故売れず日本車ばかりが街に目につくのかがベガ(アメリカの小型車)に乗ってみて身を持って解った。故障が多くパワーがない。日本の車の方が同クラスでは数ランク品質が良いと思う。とくに数年前石油ショックの折、苦しまぎれに作った小型車は全く使いものにならない。その後フロリダで安価で書った0年以上前のしぼれーインパラはフルサイズカーのとても性能の良いものであった。さて、それからはCBSのジムが毎日送り向かえをしてくれたのであるが、これがなかなか楽ししもので、いつもジムの奥さんのローリーと子供のシドニーが一緒に来るようになって毎日4人でCTCに行き、ローリーが車を持って帰る。そして夕方5時にまたローリーが向かえに来てくれるというパターンだった。ドニーは3才の女の子でおちゃめでかわいい。ローリーは底ぬけに明るい物事にこだわらないよくいるヤンキー娘の感じであったが実際はポーリッシュ(ポーランド系)だそうだ。この地方ではジュー(ユダヤ系)とともに多い人種である。彼らは結婚して4年にもなるのにいまだにとても仲が良い。しかし彼女がニューヨークのブルックリン(下町)に住んでいたことがあると聞いて彼女のあの気の良さ、調子の良さ、きっぷのいい所があるのがうなずけるような気がした。ジムが風邪で出社できないときは、ローリーがわざわざ送り向かえしてくれた。このようにアメリカ社会では人と付き合い出し親しくなるとすぐ家族を紹介する。結婚していれば奥さん又は夫を、していなければ父親,母親,兄弟を紹介してくれる。留学生は別として単身赴任の日本人会社員の立場の不自然さがアメリカ社会で目立つのがよくわかった。これも家族を中心にしたアメリカ社会の表れだろう。最も日本でも家族は社会の組織の基本単位なのだが日本人はもう一の家族(会社)を持っているところに差があるとは考えられないだろうか。
仕事のすすめかた

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